何を「みまもる」の?

 先日、ある町内会長さんから「1暮らしの引きこもりがちな高齢者住民の方をどうやってみまもったらいいと思いますか?」という質問を頂きました。

 皆さんは、みまもってね。とお願いされたら、何をみまもりますか? そもそもみまもりって何ですか?

 2021年度、別府3町内会の有志が【べふ3福祉のまちづくりプロジェクト】を創り、NPO法人志免地域支え合い互助基金の助成とコーディネート事業を活用し「生きる力支援推進会議」を開催しました。

 この動きは、2020年度のコロナ渦の時に行った【町内会長がコロナで氣になっている人4人を対象にしたミニデイによる「専門職と住民の協働」モデル事業】の結果をうけたもので、ミニデイに参加した氣になる人の現状身体評価を受けて、町内会の有志と専門職が、今後どの様に協働すればその方を要支援や介護にならなくて済むか?また、その方が安心して暮らすことが出来るか?を模索する会議でした。

 その生きる力支援推進会議の席上、参加者の住民さんから出た意見の中に「みまもり対象の方の家にあがることはハードルが高い。人によってはインターホンも出ない」という内容を伺いました。その時に「みまもるってなーに?」という話になったのです。

 生きる力支援推進会議のケース会議で、病院で勤務する看護師さん達は『看護りを監視』と言われます。また介護施設に勤務する介護福祉士さん達は『見守る・看護るを安否確認及び生きる力の把握』と言われます。
そこでこの会議に参加している住民の皆さんに対し、志免町役場等から「見守りをお願いします」と依頼された時、何をみまもるのですか?と質問をしていますか?と聞いたのです。返事が返ってきませんでした。

 今日はどうしているかな?という氣で、その方がいつもと変わらないかどうか?というとこを観ていませんか?と聞きましたら「そうそう」と言われます。
この「みまもる」という言葉は1つかもしれませんが、立場によってその意味合いが変わるのです。

 私は、日頃の生活で家族やご近所さん、友人知人が「いつもと同じかな?」というスタンスで把握して下さる事はとても嬉しい。また私が入院した際、いつもの身体状況と変わりはないか?と看護師さんが監視して下さるのも嬉しいし安心。
よって、私の身体の状況毎にそのみまもり方法と視点が変わりながらあることはありがたい。

 地域包括ケアシステムの時代に於いては、自宅ベースでの療養や介護になる方が多くなります。
その時、身寄りもなく引きこもりがちで、詐欺や強盗の多い時代では、どうやって日頃からの見守りを行うか?これが大変になるわけです。その方の今がわからなくなります。

 そこで求められてくるのはやはり遠隔見守り・看護りです。
住民と専門職が協働して遠隔見守りと看護りを行い、もしもの時には住民の方が駆けつける。もしくは商助が助けに行く。その様な仕組みです。

 今後は、見守り・看護りの協働が、自宅生活を長く、安心したものにしてくれ一助になるだろうと「生きる力支援推進会議」での「みまもる」議論から思いました。