現在、『ほほ笑み結ぶ・しめ新聞』第5号が完成したため、関係各所に配達をしています。
その中で、表題の様な質問を頂きました。

『支え合い新聞部』の構想は2010年に遡ります。
当時、社会医療法人栄光会は「栄光すこやか大学」を創立していました。何をする大学かと言うと、地域包括ケアシステムを点で実行する為、その一環で当時運営をしていた「高齢者専用賃貸住宅 安息」にお住まいになる方々の生活に活力をもたらすことを念頭に「生涯学習」の場として創立したのです。
入居者の方が時に受講者・時に講師というスタイルと、志免町民の方々が仕事として講師になって頂く。というスタイルです。各曜日で何を学ぶかのテーマを決めていました。

その大学にもサークル活動が必要だと想い、サークルを作るとしたら多世代交流に繋がるサークルが良いと想い、志免西小学校の子供達と「新聞部」を創ろうと考えていたのです。その際、各方面の方々にサークル構想をお話しますが、その際は共鳴をして下さる方と会えず、この構想は宙に浮いてしまいました。
そして時が過ぎ2020年。コロナ渦の時です。
NPO法人志免地域支え合い互助基金では、町内会や元気高齢者を対象に、生活支援を希望する方々に向けて「支え合い活動」を行うチームを創造して欲しいとの願いと、そのチームを継続して運営をして頂く為に支援をすることを念頭に活動をしてきました。しかしコロナ渦になり町内会や高齢者の方々の動きが止まります。
【このままでは会員さんや寄付をして頂いた方、地域の方々との関係が薄くなる】そう想い、何とかコミュニケーションをとる方法がないか?を四六時中考えていました。その時に思い出したのが「新聞部」でした。

そこでまずは事務局が「支え合い新聞」をつくり、その新聞をつくる為に街中を巡ります。
そして時を同じくして「支え合いのシンボルマーク」を志免中学校・志免東中学校にお願いをし、中学生の皆さんに考えて頂きました。応募数は800通です。
この目的は、中学生のお父さんお母さん世代に当たる40代が、志免町では最も多い人口層であり、2040年、志免町の高齢化のピークを迎えるころには、その世代の方々の「支え合い活動」があるかないかで、この町で暮らすことの安心感が変わると思ったからでした。

これらの動きが突合したのが「支え合い新聞」第3号の時でした。
当時、志免東中の教頭先生をされたいたN先生に【中学生の皆さんの支え合い意識についてインタビューをさせて頂けませんか?その模様を支え合い新聞に掲載させて頂いても宜しいですか?】と相談をします。その意義を捉えて頂き、卒業式の数日前に、当時の志免東中3年生5人の女性とO教員との座談会を行わせて頂きました。
その体験から【中学生の皆とならば、良い新聞部ができる】と思ったのです。

N先生が志免中学校の副校長として赴任されたある日、【支え合い新聞部を結成させて頂けませんか?】と相談にあがります。
志免中学校さんが快く歓迎をして下さり、遂に「支え合い新聞部」設立になったのです。
この新聞部は、中学生部員を中心に、その周囲を顧問の先生や大人部員が支えています。
まず毎号テーマを決めます。
そして新聞の構成企画を行います。
そのテーマに基づき、インタビューや取材、アンケートを行います。
最後は、中学生の視点で記事を書き、編集をしていきます。
第5号は、この編集に大変苦労をしました。
「支え合い新聞部」の運営に際し基金事務局として大切にしているのは、未来の志免町・未来の日本・未来の世界、そして未来の地球を創造していく中学生の視点で、今を懸命に生きる志免町の人、そしてその方のコミュニティや行っている支え合い活動を、お話をさせて頂きながら交流し、そこで感じた感性を理性を使って記事に興し、出来上がった新聞をインタビューをさせて頂いた方や志免社会に還元するということです。
なぜなら、それを読んで下さった方々が刺激を受けるような感想を抱いて頂くのだと想像しています。
そして、それが積み重なっていく事で、徐々に「支え合い」が読者である志免町民の潜在意識に働きかけ、時代の変化も相まって支え合うという行動が生まれてきて、終には『コンパッションタウン志免』に向かうのだと想っているからです。

大事なのは、『温故創新』という意識。『対話』と『受け入れる』姿勢。『一致団結』する為のテーマと未来の姿の共有。
このことを、中学生達が軸となり、その視点で発信する新聞が志免町を『支え合う』で繋げていく状況をつくる。
その可能性を秘めた活動が『支え合い新聞部』であり『ほほ笑み結ぶ・しめ新聞』だと思っています。

2025年度からは、志免東中学校さんも新聞部に参加をされます。
そして、志免東中学校の部員の方々とも話し合い、新聞部➡新聞社への移行について、皆さんの意志が共有でき次第、新たなチャレンジを始める事になります。
この新聞活動がテコとなり、志免町における『支え合い意識と行動』が当たり前になることを常にイメージしながら今日も元氣に新聞配達を行います。

質問をして頂いたTさん、この場をお借りしまして、御礼を申し上げます。
ありがとうございました。