私は、2024年度から「退院支援から生活支援を考える」というモデル事業の実践者をさせて頂いています。先日、その対象の1人である〇さんが入院していた病室で、ある想いを誓いました。
お元氣訪問を通じ、定期・不定期に〇さんの自宅を訪問し、生きる力の変化を見守りながら支援をする活動を続けてきました。
〇さんが、昨年の秋ごろから腰の痛みを訴え始めます。
「運動をしていないからか? 便が溜まりすぎているのではないか? 腰を骨折しているのではないか?」関係者で話し合いながらその都度対応をしてきました。
ある時は、〇さんの自宅から100m程にある主治医のところにお連れしたこともありました。
それから数か月後、シェイバーを買いたいという事で一緒に買い物に行きます。その際、押し車を押しながら歩かれるのですが、痛む腰、呼吸のしずらさを抱えながら歩くその姿をみて、担当ケアマネに「しっかり検査をして欲しいと主治医に伝えて欲しい!」旨の要望を伝えます。
何とももどかしい・もどかしい時を経ながら診察をされると、耳を疑う状況であったことがわかり入院・治療となりました。
関係者一同、己の力のなさに落ち込むと同時に、〇さんの行く末に想いがいきます。
「奥さんとの思い出がたくさん詰まっているあの自宅に戻ってこれるだろうか?」
そして時が過ぎ、退院へのカウントダウンが聴こえてくる時を迎えました。
周囲の専門職は「元氣な時に1人で暮らしていたあの家に帰っての生活は難しい」と判断し、〇さんに介護や介助をしてくれる人がいる場所での生活を提案したそうです。
しかし〇さんは「野垂れ◇にしても良い。家に帰りたい!」と強く希望をしたそうです。その結果〇さんの希望が叶う様に支えよう!と専門職チームがまとまり、自宅に帰る準備が着々と進みます。
私が病室に伺ったのは、退院をするその日の朝でした。
どんな〇さんになっているのか? 不安と怖さがありましたが意を決して病室に入りますと〇さんの表情はいつもの通りでした。ひとしきり話をした後、担当の看護師さんやケアマネさんがお見えになり「〇さん、本当に良かったですね。」と語り掛け、私にこう伝えてくれました。
「今日の〇さんは、昨日までの〇さんと全然違う顔をしています。顔に生気がみなぎっている。ご自宅に帰れるということがいかに大事な事か、〇さんから教えて頂きました。」
私の父も、あと2ヶ月です。と宣告され、家に帰りたいとズッ..と言っていました。しかし当時は介護保険もなかったので難しいと想っていましたが、栄光病院の看護師さんが家までついてきて下さり、家での生活や私たち家族の介護力を観て下さいました。その結果、難しいとの判断を行い、栄光病院のホスピス病棟の病室を家に見立て、その場所で家族生活をしたのです。
〇さんの顔を観ていると、その時の想いがこみ上げてきます。
父が亡くなり栄光病院から家に帰る際、故郷から出ていく感じになり、「全ての人に幸せな人生最期を迎えて欲しい!。その仕事をする!」と決めた志を叶える意が更に強くなったのです。
今後は、看多機の事業所の方々、民生委員さん、私と渡邊理事等が、〇さんのコンパッションコミュニティとなり、〇さんの生活を支えていきたいと決めました。
〇さんが幸せだと思えるサポートの約7割はもう思わっています。
それはご本人が「野垂れ◇にをしてもよい!」という覚悟ができているからです。
その孤独に生きる覚悟ができていることが孤立をさせないという支えを惹きつけ、幸せへと導かれると思います。
このモデル事業を通じ、様々な事を学んでいます。
葛藤や未熟さ、力のなさ、そして悔しさや情けなさを感じ、ふがいない自分を嫌というくらい味わいました。
しかし、〇さんのその覚悟に救われた氣がします。凄い生き様を魅せて頂いています。
〇さんへの御恩をお返しできるよう関わらせて頂きたい。そう想っています。(事務局 鷹尾)






