2023年度を終えるにあたり

 2023年4月1日より始まりました2023年度活動。
2024年3月31日を持ちまして終わります。今日は、2023年度を振り返り、2024年度に向けた抱負を申し上げます。

 コロナも5類となる2023年度。
「温故創新」というスローガンのもと、いよいよ地域活動も再開されるだろうと意気揚々にスタートをきった。

 しかし、そこでみた現実は以前の様な活力ある地域自治の姿ではなかった。
「このままではダメだ」そう感じるなか頭に浮かんだのは、2022年度に登壇させて頂いたさわやか福祉財団主催の「生きがい・助け合いサミット in東京」で聴いた鹿児島の高校生町内会長の話であった。

 助成委員会の席で志免社協の方に出前講座をお願いし、委員会メンバーで志免町の現状を認識し、ではどうすべきか?という議論を助成委員会・合同委員会で行ってきた。
その中で出された意見が「大・交流会」である。

 鹿児島から金子陽飛町内会長をお招きし、講演を行って頂く。
その後の座談会では、支え合い新聞部のメンバーである志免中学校の中学2年生のIさん、Nさん、高校3年生で支え合いシンボルマークの原画を作成して下さったMさん、大学生町内会長の金子さん、40代代表の門谷さん、70代代表の藤田さんが登壇して下さり、町の活力、孤独、自分にできる事は.. についてご意見を賜った。
 この交流会で多くの貴重なご意見を賜ったが、その中に「対話」の必要性を説いてくださった方がいた。とても貴重なご意見を賜ったと感じている。

 そして2024年の2月。
志免町文化協会主催の文化講演会の席で、冨士正醬油醸造元の藤浩太郎社長に「協働の文化を醸す」というテーマで講演をお願いした。
「競争から協働へ」という内容である。

 これら1年の大きな流れの中で感じてきた事は、志免町という船の中に多様な方がいらっしゃり、その船のなかにいる方が対話をすることなくただ同じ船に乗っている。という事ではないかと思う。
何百年とこの志免町で暮らし、この志免町を創ってこられた方々。
最近志免町に引っ越してこられた方々。
戦前から戦後、志免町を引っ張ってきてくれた方。
団塊世代と言われる方。
バブル世代と言われる方。
団塊ジュニア世代と言われる方。
ゆとり世代と言われる方。
Z世代と言われる方.. 等、過ごした時代環境が違う方々が同居している。
その中で、アナログとデジタルも同居しながらデジタル時代が加速している状況の今、この違いを違いと言い片づけていいだろうか?

 果たしてそれでいいだろうか?

 同じ福岡県に大刀洗町がある。この大刀洗町は、今、注目されているの町の1つである。
この町には、ヒョウ柄の名刺に衣装を着る村田まみというまちづくりの課長さんがいる。この方が主に行っているのは住民同士の「対話」であり、「住民各自が自分の意見を話せる環境つくり」である。そうして主体者つくりや大刀洗町愛を醸成させているように感じる。

 この志免町に今必要なのは、住民や産官学等がいろんな違いを乗り越えて、同じ土俵に立って「対話」をする事であると思う。そこからしかやはり始まらないし、そこが抜けていたらまたそこに戻るのだ。なぜなら「志免町で暮らす人」がこの町を運営するからである。

 我が町
という主体者であり我が事のように思考する志免町住民を、まずは人口の10%にすることがとても大事だと思う。

 現在、NPO法人志免地域支え合い互助基金内に於いて、2024年度のスローガンを協議中である。2024年度に入るが協議中である。この4月の合同委員会では決定するコトになる。
 協議しているスローガンとして事務局から提案をさせて頂いているのが『対話』である。
2024年度のスローガンが『対話』と決定した暁には、2024年度の活動に対話をする場つくりを入れたい。

 末尾になりますが、
日頃よりNPO法人志免地域支え合い互助基金をいろんな角度から支えて下さった皆さま方、2023年度も大変お世話になりました。皆さま方から頂いた『がんばれよ』というお氣持ちのおかげで、この1年を乗り越える事が出来ました。
 ありがとうございます。
日々の積み重ねにより、遂に『対話』というところに辿り着きました。
この事は凄くエネルギーを要す事ですし、本氣になれないと取り組もうと思えないコトだと認識しています。
 皆さまから頂く日々の激励のエネルギーが蓄積し、事務局も成長することが出来ています。
それが、対話という本質に迫る事に繋がったと思っています。
 2024年度は、いよいよここに向けてチャレンジをしていきます!

 どうぞ、2024年度も、よろしくお願い致します。(事務局 鷹尾)