お盆を迎えるにあたり、前理事長の今は亡き下稲葉康之先生。発起人の今は亡き森内平さんを想いつつ、「NPO法人志免地域支え合い互助基金の存在意義や存在価値」について考えていた。
「NPO法人志免地域支え合い互助基金は、この志免町に無くてはならない存在だろうか?」
「支え合い や 互助って、殊更いうことなのだろうか?」
そんな問いから始めてみた。
まず、支え合い や 互助。これって必要だろうか?
人は1人では生きていけない。これについては皆がそう想うだろう。納得できること。では、1人では出来ない。そしてら家族や親族が支えていけば良いのではないか?そういう声が聞こえる。ただ、家族や親族がいなくなった人はどうすれば良いか?その時は、行政が支えてくれれば良いのではないか?そんな声も聞こえる。
行政って誰のこと? 役場や市役所の人のこと。
ではこれから多くなる高齢単身の人を役場や市役所がお世話をする人を採用してお世話をすれば良いのですね?はいわかりました。それではその方々を採用し給料をお支払いする為に税金をもっと多くください。
そんな話にならないだろうか?
人口が増える局面ならわかる。しかし人口が国全体で減少する社会だ。社会の構造が変わらない為、働いてくれる人を確保するためにどの企業も、どの行政も苦慮している。そのことを住民の皆さんも良くわかっているはず。
結果、現状で話を回していると堂々巡りになるのだ。
そこで必要なことは、未来の地域自治をどうやって行うか?について、その地域で住み続ける意志のあるモノが集まり、「対話」をするコト。これこそが重要ではないか?と想う。
それを想い、そのコトを形にする。
そこが、NPO法人志免地域支え合い互助基金の存在意義ではないか?
言い換えると、デザイン力がある。というコトが、この法人の価値であり、意義にあたると結論付けた。
この数日間、「デザイン」・「可視化」・「対話」という3ワードに集約されてきた。
きっと、これからやることが、ここに凝縮されているのだろう。的が絞れてスッキリしている事務局です。(事務局 鷹尾)
