どこから始めるべきか?

 今の時代、介護が必要になったら自宅という生活の場所で医療や介護を行う。それは医療介護等に従事する人の数が少なくなっていくからだ。施設や病室では日常の生活支援や家族の安心感はある(ただし、本人は自宅の方が良いと思う)。

 ではその自宅で生活支援を誰がどうやって行うか? ここに全国各地が苦慮している。特に本人が認知症になった場合、どうすれば良いか..

現在、認知症サポーターを各地で養成している。しかしどれくらいの意識変容と行動変容が起きているか? 

 弊法人は、先日行われた助成委員会に於いてその事を意識し『そもそもボランティアは機能するのか?』について話し合いを行った。まずは「ボランティアに対するイメージ」について意見を出し合った。

そして昨日、大阪のボランティア協会にて理事長を務める早瀬さんのパワポを拝読する機会があった。

このパワポを拝読し感じたのは、やはり、ボランティアって? 支え合いって? 互助って? 生活支援って? 等々、協働する関係各者と対話をし、その考え方から共有していく丁寧なステップを踏むことが大事だということだ。

そこが違っていれば、幾ら話し合っても全くかみ合わない。

以前、こんな事があった。べふ3福祉のまちづくりプロジェクトのメンバーさん達と『生きる力支援推進会議』を行っていた時、『見守り』について専門職と住民とではその意味合いが違うことがわかった。なぜわかったかというと、Aさんの見守りについて『見守り』という言葉は同じであるがその使い方が微妙に違う事を感じ始めた。そこで「その見守りって、どういう意味でつかわれていますか?」と専門職に聴くと「監視です」と答えた。住民は、監視するという意味で見守っていないし、それはできない。そういう事があった。

 膨大なことであるが、それを丁寧に行い積み重ねていかない限り、いつまでたっても『志免町版地域包括ケア・ネットワーク』ができない。

本年度は、その事を意識して積み重ねを始める1年にするべきだと感じた。(事務局 鷹尾)